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コラム

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山中哲男 生い立ち~起業前夜の話

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民間企業から中央官庁まで様々な事業の戦略策定、新規事業開発支援、プロジェクト開発支援を行ってきた山中哲男さん。その全ての仕事が、自分から積極的に提案営業したものではなく、基本的に人とのつながりで自然発生したものだと語る。そのルーツを生い立ちから起業前夜まで、オーラルヒストリーで語ってもらいました。

生い立ち

兵庫県で生まれ育ち、家族は両親と姉。お父さんは工場勤務、お母さんは専業主婦という平凡な家庭です。特に人に誇れることのない子どもでした。唯一の自慢は足が速いこと。学校でトップ、町でも一番速かった。高校時代の記録で言うと50mが5秒6、100mが10秒8。スポーツテストで50mを走る時は、窓から全生徒が見ていていましたね。

でも、球技や水泳は得意ではなく、スポーツ万能というタイプではなかった。好きなアーティストや野球チーム、サッカーチームもなく、何かにはまったり、憧れたりしたことは一度もない。将来の夢を書かされたときは友達が書いたものを見てぱくっていました。何かに強く憧れたり、熱望したりという感覚がないのは、今に至るまでずっと変わらないですね。

6歳上のおねえちゃんがヤンキーで手がかかる人だったから両親はそちらに集中していて、親戚に「ようほったらかしで育ったな」と言われるくらい、子どもの頃から何でも自分でやっていました。何かあったときも相談したりせず、親にも「自分で考えな」と言われて育ちました。学校では、授業中は友だちとしゃべって先生に怒られたり、テストも○×式以外は記入しなかったり。宿題もまったくやらない。だからびっくりするくらい勉強できなかったですよ。

中学は公立のマンモス校で、成績は1学年400数十人中400番台。ヤンキーや不登校で勉強できないのはめずらしくないけれど、普通に学校行っているからね(笑)。通信簿を見た父親が「棒(1)からアヒル(2)にしてくれ」と言っていました。

高校は陸上の名門校にスポーツ推薦で進学しました。成績が中の上くらいの子が行く学校だったので、みんなにずるいと言われましたが。入学すると100人くらいの部員で一番速く、いきなりインターハイ予選に出場しました。でも、将来は選手になりたい、体育の教師になりたい、などとは思っていませんでした。「夢はもたない」性格なのは、ずっと変わらないですね。

大学進学を考える時期になり、先生に「アホすぎるから一般入試はムリ、陸上の推薦なら」と言われたのですが、その頃陸上でうまくいっていたからすごい自信家で、「自力で合格できる」と3年の春から受験勉強を始めました。

小学生の頃から勉強なんてしたことなかったけれど、3年の終わりの試験では学年で3番に。すごく頑張ったのは、行きたい大学があったから。甲南大学ですが、大好きな先輩が行ったこと、当時日本記録保持者だった伊東浩司さんのコーチ就任が決まっていたことが理由です。でも、甲南の試験はめちゃくちゃクセがあるんです。入試のときまでそのことを知らなくて、試験用紙を見て汗が出ました。結果、不合格。再チャレンジの後期入試もダメで、3月になって浪人するか働くか決断を迫られ、結局就職することにしました。

それまで大きな挫折はなかったし、落ちると思っていなかったのでショックはありましたね。中学・高校と、走ること以外は得意なこともなく、本当に平々凡々と生きてきたんです。中学時代は、部活以外はゲーセンに入り浸って、メダルゲームを増やしまくったメダルをゲーセンで会った人に売ったり、今はだめですけどね。

それで陸上のスパイクを購入したりしていました。高校時代の空き時間はすべて麻雀につぎ込んでいて、大学受験に失敗するまでは平凡で気楽な毎日だったなぁ、とつくづく思います。

 

就職先は工場

ボクの就職は、大手電機メーカーの工場が最初でした。ギリギリの採用時期でしたが、体育会系だったから気に入ってくれたかな、すぐ受かりました。従業員は400~500人くらい。8時出社で、朝起きるのが辛く、毎日休む理由はないかな、と考えていましたね。入社7カ月くらいで機械オペレーターの部署に異動になったのですが、そこは年長の社員ばかりで、「自分も10年後にここでやっているのか」と思うと、一気にイヤになりました。

それで、転職しようと求人を探し出しましたが、どこも全然ピンとこない。そのとき初めて「自分は何者なんだろう」と考えたんです。

親も友達も工場で働いている人が多かったし、周りに工場がたくさんあったから就職したけれど、自分には合わないらしい。自分に向く仕事を見つけるため、いろんな本を読んだり、強みをワークシートに書いたり、自分のことをめちゃくちゃ棚卸しました。

でも、何も出てこない。今考えると気づいていなかったのかもしれないし、人より抜きんでているところを見つけないといけない、と思っていたのかもしれません。

大学受験も失敗し、働いてもモチベーションがなく、うまくいかない。当時の上司はいい人ばかりで、人には恵まれていたのですが、それがいかに尊いことか当時はわからなかった。今だから人柄のいい人や相性のいい人と仕事するのは大事と言えるのですけれど。やめたい理由をどんどん作り、翌年の2月にやめました。その前後から自分に向く仕事は何かを考えて、考えて。その数カ月はすごく苦しかったですね。

その時に気づいたのは、ボクは高校時代陸上をやっていたとき、自分が速くなるよりも人に教えるのが好きだったこと。人に教える仕事ってなんだろう?と調べると、コンサルティングという仕事がある。そこで、当時住んでいた加古川から通いやすい神戸のコンサル系の会社をかたっぱしから受けました。

IT、財務、経営戦略…そういう会社は大卒対象なのですが、面接してくれた会社もあり、そこで言われたのが「君はどんな専門を特化したいのか」。専門なんて全然知らなかったから、「人を応援する仕事をしたい」と漠然としたことしか言えず、採用されませんでしたが、仕事につくには何か専門が必要なこと、マネージメントという言葉を知り、「マネージメントのスキルを身につければ人に認めてもらえるんだ」と感じ取ることができました。

そこで、求人情報を見てみると、飲食系はマネージャーや店長になれるのが早いことがわかりましたが、最短でも3年かかる。「わ、3年かかるんだ、まじムリ」と思いましたね。それで友達に話すと「自分でやればいい」と言われ、「そうか」と心を決めました。会社を辞めてから2・3か月たった頃のことです。

 

飲食店を起業

ある日大学に進学した友人10人を集めて話をすると、7人が飲食店でバイトしていて、「店をやるから働いて」と問うたんです。そうしたら「やりたい!」と一致団結できて、自己資金7万円をもって意気揚々と踏み出すことにしました。当時は今思い出してもモノを知らなすぎたのですが、開業資金は銀行で借りればいいと考え、さっそく行動に移したんです。で、当たり前の話なのですが、3行回ってどこも貸してくれない……。ある銀行では、信用保証協会の存在を教えてもらいましたが、飲食店で6年以上の実務経験が必要と知り、こちらもダメ。さて、どうしようとなるわけです。

さらに追い打ちをかけるように、誘った友人たちが「てっちゃんに言われた通り、バイトやめたぞ」と連絡がくるんです。そこでまた7人を集めて、全員の親の職業を聞き、お金をもっていそうな2人の親から借りることを考えました。

1人目の親は経営者でしたが面識がないのでまずムリだとわかっていました。でも、だからこそ、まずはそこに行こうと決意したんです。なぜか。それは借金を申し込めば色々と突っ込んだ質問をしてくれるだろうから、お金を貸す立場の人が何を求めているのかを把握することができる機会になりますよね。

いざ会ってみると、「ビジネスなめんな」「いい加減なことするな」と、想定していた通り、けちょんけちょん笑。ただ、「コンセプトは? 家賃はどれくらいのところを借りたいんだ。場所はどこ?どんな客を考えているんだ?」と矢継ぎ早に訊いてくれたので、それを持ち帰り、みんなで頭を絞ったんです。そして、次に会う人の時には、課題を完全に潰しておこうと、実際に色々な飲食店を調査して回りました。

机のサイズやソファの座り心地などを事細かにメモしましたね。そうすると、人がリラックスして寛ぐために必要な空間というものが朧気ながら見えてきて、準備に必要なことが明確化しました。

それで次の親に有った際には、コンセプトから店名、客単価、ターゲット層、メンバーの人となりなどを全部書いたものを見せることができました。すると、「よくこれだけ考えたね」「君はそういう才能あるね」と感動してくれて。友人も「こいつは将来絶対社長になる」と後押ししてくれました。

ボクも「おじさん、友人○○は、いつか会社を継ぐんでしょ。要は社長になる訳で、その時のための社長の練習と思って、この事業に協力してください」とずうずうしくお願いしました。そうしたら、最終的に「車が事故ったと思って、出したるわ」と500万円を貸してくれたんです。

本来なら、銀行に行ってダメと断られた時点で事業を諦めるのかもしれませんが、モノの見方を変えてなんとか方法はないかと模索して足掻くうちに本当に活路は開けたんです。

この期間に学んだことですね。一見無理だと思えるような壁も、真正面からそのままぶつかるのではなく、方策を考えると、案外活路っていうのは拓けるものだと。お金がない、銀行に借りよう、でも借りることができなかった。そうすると多くの人がそこで諦めるか、いったんお金を貯めるまで待つという選択をするのだと思います。現状が信用がなく、銀行でお金を借りることができないのなら、どこかにお勤めしよう、となるのだと思います。でも、あそこでボクは友だちの親に借りるという選択肢を取ることで無事道が拓けたんです。ボクは違う山の昇り方を考えるのが得意だったかもしれませんね。

この時の経験は非常に大きかったです。人からダメと言われようと、自分さえ挫けなければモノの見方を変えることで、人生は切り拓くことができるものだという自信が生まれたので。

 

不動産を借りるにあたって

資金の目途がつきましたが、次の難関は不動産でした。高校出て間もない人間だから信用なんてあるわけない。保証人もいないから、不動産会社を活用することはほぼ無理でした。唯一借りられるとしたら直にオーナーさんがOKと言って、僕たちのコンセプトに共感してくれた場合だろうと仮定しました。

そこで、空きテナントがあるビルで営業している店舗を回り、個人オーナーに直談判していったのです。なぜ、個人オーナーなのかというと、個人の方の方が、ボクたちが熱弁すれば、共感してくれる部分があるという淡い期待があったからです。手法としては、テナントに行ってビルのオーナーの名前をまず訊くんです。相手が不動産会社の名前を出したら止めにして、個人の名前を出したら個人オーナーの可能性が高いので、紹介をお願いして回りました。

何店舗も何店舗も回った末に、ある自動車ディーラーさんが「ここは個人のオーナーさん」と教えてくれました。勘なのかもしれないんですけれども、直感でここは上手く行きそうという予感があったんです。

それで、そこに行ったのですが、案の定「それなら仲介の不動産屋さんに」と無碍もなく電話番号を教えてくるという反応でした。けれども、「ここで折れたらあかん」と気持ちを引き締めて、「ちょっと聞いてください!」「ボクはお店をやりたいんです。お金はあります。ただ、不動産を借りることができません。経験がなく今プータローなので。でもお金は集めているんです」としゃべりまくりました。まくし立てて熱弁をふるったら、オーナーの方はボクの話を聞いた後に、ゆっくりと頷くように、「こんな若い子がチャレンジするのに貸してあげなあかんわな」と応じてくれたんです。

そこが17坪で家賃9万円。駅から15分。何もない伽藍洞のテナントに立って、グルリと物件を見渡した時に、戦慄くというか、ここから全てが始まるんだというワクワク感が全身を巡っていったのを今も憶えています。

 

起業人生

そうして、ボクの起業人生が始まりました。もちろん飲食なんて初めて。メニューをどうする、仕入れの業者はどうやって見つけるとか、全てが無知の中でのスタートですから、それはもう失敗を重ねましたし、ものすごく大変な毎日でした。毎日ハイスピードで考えながら行動して、あっという間に11月の開業日を迎えることになりました。

ある種の意地みたいなものがあったのかもしれません。それまで目標もなくやってきた人間が何かを掴めるかもしれない、人生で始めて心から打ち込めるものと出会ったことで、絶対にモノにしたい想いが非常に強かったです。何より、ボクは多くの友達を誘って、バイトなどを辞めさせていました。人を巻き込んでいました。いわば、ボクを信頼してついてきてくれているのだから、絶対に成功させなければならない責任感がありました。なんとはなしに、失敗してしまったら、無責任なヤツとして信用がなくなってしまうことがわかっていましたから。怖かった。だから、やらなあかん。それ以外選択肢がない、そう自分に言い聞かせて何とか毎日をやり切ったように思います。

何が言いたいのかというと、あの日々が楽しくはなかったということです。やらなあかんで、どうやってお金を回していこうか、日に日に減っていくキャッシュフローが気がかりになったり、それはもう毎日悩みが尽きなかったんです。

仕入れ業者もゴミ捨てる業者も何も知らないから、全てが試行錯誤でした。その中でボクが気転がきいたのは、雇うと言った7人の友人にひとつだけ条件をつけたことです。自分たちがバイト先を辞める時に、その店長をボクに紹介してくれという条件をつけました。なぜかというと、店長は仕入れ先もレシピもシフトの作り方も知っている。それを全部聞くことで、飲食店の知識を身につけようと考えたんです。

それで実際に、何年もその世界で食べている諸先輩方に、飲食店の状況やオペレーションのノウハウなどを一から学ばせてもらいました。さらに、ボクがどういったコンセプトでどんなお店をやりたいかを熱弁していったので、何人かは後々応援してくれるようになりました。

オープンの時も、各々のお店の人が集まってくれました。口コミも広げてくれ、仲間みたいな存在を作ることができたんです。多くの方が、10以上年上の人たちです。実際にオープンしてから大きなトラブルなく回せたのは、先輩たちのおかげです。もう一つ言えば、あの店長を紹介してというひとつの気転があったからだと思います笑。

ああいった機転が利かせられたのは、ある種先入観がなかったからかもしれません。若いときに勉強しなかったので型がない。人に教えをこうことを恥とか思わない。それは今も全く思いませんが。とにかく、ボクはこうして起業家人生を踏み出すことになったのです。起業後のお話はまた機会があれば、させてください笑

 ◇

世の中には、はじめからやりたいことが見つかっているように見える人がいます。就活や転職、起業の際には「何をやりたいのか」を明確化していることが、スタートラインに立つ条件だったりしますから、誰しもやりたいこと探しに必死になる時期があります。また、メディアにでてくる人にもそういった明確な目標や志を掲げたキラキラした人が多いから、やりたいことが見つからない人はなんとなくダメな人というラベリングがされる風潮さえあります。

ボクも就活の際はこのやりたい目標が見つからなくて苦しみました。苦しんでも何も見つからなくて、高校卒業後なんとなく地元にある工場の工員として働き出したんです。でも、働いていても、自分が「心からやりたいこと」は見つかりませんでした。あげく、仕事を辞めてしまっています。

そこから約20年経って今は充実した毎日を過ごすことができていますが、振り返って思うに、目標や志は人生で「生きがい」を感じることに必ずしも必要なことではなく、人との向き合い方である法則さえ守れば、「それでもなんとかなっていく」ものなのだと感じています。今、やりたいことが見つからず悩んでいる人の参考に少しでもなれば幸いです。

 

<プロフィール>

山中 哲男(やまなか てつお)

1982年兵庫県生まれ。高校卒業後大手電機メーカーに就職する。約1年間働くが、やりがいをもつことができず転職を試みるものの、失敗の連続。自分で仕事をつくることを決意し、飲食店を開業。“ゆったりくつろげる空間”をコンセプトにした居酒屋を展開し繁盛店にする。その後、米国ハワイ州でコンサルティング会社を設立しCEOに就任。日本企業の海外進出支援、M&A仲介、事業開発支援を行う。丸亀製麺ハワイ店など人気店を多数支援。翌年、株式会社インプレスを設立し、代表取締役社長に就任。ビジョンや想いに共感するものに携わり、現在まで50以上のプロジェクトを立ち上げる。既存事業の事業戦略策定や実行アドバイス、新規事業開発支援を中心に活動中。著書に『立上力』、『あったらいいなを実現するビジネスのつくり方』がある。2015ワールド・アライアンス・フォーラム事務局長 /U3A国際会議2016実行委員

 

株式会社クラフィット 代表取締役社長

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株式会社Sacco 代表取締役
加藤 俊
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運営企業として累計10,000社超の、取材実積・メディア制作を経て、サステナブルな企業がステークホルダーを重視した経営を行っていることに気付く。100年以上続く長寿企業複数社の社内報・ステークホルダー取材を通じ、ポスト株主資本主義時代の経営ビジョンに開眼する。環境教育系社団法人の広報業務支援も行う。またライフワークで若者の自立を応援するヒーロー『くつべらマン』の2代目として活動。

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