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伊那食品工業株式会社

有識者VOICE

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ステークホルダーの幸せが会社の使命。多くの経営者が尊敬する伊那食品工業の世界観とは?

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尊敬する会社は何処か。この問いに多くの経営者が挙げた社名がある。伊那食品工業株式会社。Saccoとして累計10,000社近くを取材してきた中で、もっともよく聞いた答えだ。社名の通り、長野県伊那市に本社を置く、日本人にとって馴染み深い食材「寒天」のトップメーカーだ。なぜ同社は多くの経営者が模範と仰ぐのか。有名な話では、トヨタの豊田章男社長も同社最高顧問の塚越寛さんの著書を「私の教科書」として師事し、日本の名だたる大手企業トップたちも思慕するという。

答えを探ると「年輪経営」という言葉が見えてくる。過度な成長を追わずに永続的な成長を目指す同社の年輪経営とは何なのか。関わる全てのステークホルダーから「いい会社」と言ってもらえること、それがいい会社の条件と喝破する同社が、年輪経営で社是に掲げる「いい会社をつくりましょう」をいかにして実現しているのか。

代表取締役社長 塚越英弘さんに伺うことで、日本企業の再興の鍵に迫る。

本社外観。高速伊那インターを降り、陽光が水面を爆ぜる様が美しい天竜川沿いの街道を走ること15分。小高い丘の上に伊那食品工業の工場と本社が見えてくる。

 

自然に学び、末広がりの成長を実現する「年輪経営」

-今日はお話を伺う前にひとつ驚いたことがありました。取材前に隣接する「かんてんぱぱガーデン」を覗いてきたんです。それで併設された「さつき亭」というレストランに立ち寄りました。

 

ああ、さつき亭に。それはありがとうございます。なにを食べましたか?

 

-寒天うどんとソースカツ丼です。寒天という食材の美味しさに驚きました。でも、それ以上に驚いたのが、会計時に交わした店員の方との何気ないやりとりでして。ボクたちはスーツ姿でしたから観光客に見えなかったのか、「この後はどちらへ?」と訊かれたんです。そこで「取材で」と答えたところ、ボクたちの名前が伝わっていたらしく、「Sacco様ですね。本社の場所はあちらです。行ってらっしゃいませ」と大変気持ちよく送り出していただいたんです。

ボクたちが立ち寄ることなど事前に伝えていないのに、社員一人ひとりにまで丁寧な心配りが行き届いていることを実際に垣間見ることができました。どういった教育をされているのですか。

 

そのようなことがあったのですね。嬉しいな。でも別に何か変わったことをしているのではありません。社員一人ひとりが、社是にある「いい会社をつくりましょう」を体現するため、実際に関わってくださるステークホルダーから「いい会社」と思っていただけるにはどうすればよいのかを考えて実行しているだけです。経営にあたって、そうした社員の自発性を尊重する環境づくりは心掛けていますけど。

掲げられた社是

 

-どういった工夫があるのですか?

 

まず、社員にもいい会社だと思ってもらうことですよね。社員もまたステークホルダーの一員であり、最も重要なステークホルダーですから。私たちは会社経営の究極的な目的は「社員を幸せにすること」だと考えています。社員が幸せになることによって、その家族が、地域が、そして社会全体が幸せになる。そもそも、企業による経済活動は、売上や利益を上げること自体が目的ではありません。あくまでも社員をはじめ関わってくださる全てのステークホルダーの方々の幸せを実現するための手段と捉えるべき、という考え方がベースにあります。

事実当社では社員の給料を如何にして上げていくかを経営目標の基軸に据えています。世間では、業績が上がれば給与やボーナスを増やし、業績が悪ければ減らす、というのが普通かもしれません。

しかし私たちはそうではなく、まず給料を上げることが大前提です。極端に言えば、業績が良かろうが悪かろうが給料は上げます。もちろん少しずつですが、毎年必ず全員の給料を上げています。こうした社員第一主義の考えがベースにあるからこそ、社員が一丸となって自発的に頑張る好循環が生まれるんです。

 

-なるほど。一般論として企業が毎年社員の給与を上げ続けることを実践するのは難しいです。伊那食品工業は半世紀以上連続して増収増益・経常利益率は10%越えを達成しています。ここがまた御社の凄みだと多くの経営者が述べています。

それは私たちには過ぎた言葉です。ただ、全てのステークホルダーの方々に幸せになっていただく経営を続けるために必要なのはまず「会社が確実に成長していくこと」なんです。そして、それ以上に重要なのが、「企業としての(その)成長性が持続していくという安心感」をステークホルダーの皆さまにもってもらうことです。伊那食品工業だったら大丈夫と信頼していただくからこそ、社員をはじめ皆さまとの関係が良好になり、それがまた企業成長を後押しするのです。

 

-その根幹となる考え方が「年輪経営」なのでしょうか。

 

そうです。樹木の年輪は気温や天候によって幅は変わるものの、毎年必ず一輪ずつ増えていきます。また、木が若いうちは年輪の幅が広く、樹齢を重ねるにしたがって幅が狭まります。企業の在り方にも同じことが言えます。起業した当初は成長を急いでも、ある程度の段階までなれば、環境の変化に影響されることなく、ゆっくりでも着実に成長するように成長速度をシフトする方が、永続性をもつことができます。

企業が永続的に成長を続けることで、社員に安心感が生まれ、将来設計も立てやすくなります。その結果、仕事へのモチベーションが高く保たれる。取引先や地域社会にも倒産の迷惑をかけることも避けられるので、より深い信頼関係を築くことができます。目先の利益を追い急成長しようとするのではなく、長期的な視点で絶えず成長することを心掛ける方が、ステークホルダーの幸せに繋がるのです。

本社に飾られている大樹の幹。経営も年輪を重ねるように地に足を付けた成長を目指すことが望ましい。

 

-過度な成長を追わない。これは言うは易く行うは難し。儲けられるタイミングでも、自制するということなのでしょうか。

 

食品業界のように規模が限られた市場で、他を省みずにシェアを獲得しようとすると、同業他社に迷惑をかけることにも繋がります。同じ市場で過度な競争をするのではなく、新しい市場を開拓して、新しい商品やサービスを供給していくのが、当社の昔からのスタイルです。したがって研究開発には力を入れてきました。将来の着実な成長のための“種まき”としても、研究開発を大切にする姿勢は変わりません。

その根幹にあるのは、私たちの考え方の基本にもなっている二宮尊徳翁の「遠きをはかる者は富み 近くをはかる者は貧す」という言葉です。未来を見通して今できることを積み重ねていくことが肝心だと思っています。

 

-創業当初から常に未来を見据えた開発を行ってきたのですね。

創業当時、日本にはもっとたくさんの寒天メーカーがありました。当社は最後発の一番小さな会社だったので、既存の市場に持っていっても扱ってもらえないことが多く、結果として、最初は新しい市場を探すしかありませんでした。

さらに、かつて価格が安定しない相場商品だった寒天は、1970年代前半にオイルショックの影響で価格が急騰。当社も取引先からの信用を失いかけたことがありました。そこで当時の社長だった塚越寛(現最高顧問)が、海外の産地を開拓し、良質な海藻を安定的に確保できるようにしました。こうしたチャレンジの歴史が、研究開発を大切にする考え方の背景にあるのかもしれませんね。

 

-社員にも年輪経営は浸透しているのでしょうか?

 

結局人間教育なんですよ。一人ひとりが人としてどうあるべきかを追求していくことが肝心です。朝の出勤時は渋滞を引き起こさないように右折で会社の敷地に入ることを止めたり、駐車場に木や花があるときは、排気ガスが植物にかからないように「前向き駐車」を徹底するなど、できる限り周囲の方々のご迷惑にならないような行動を心がけています。また、会社周辺の公道や公共施設なども、気付いた社員が自発的に清掃活動をしています。これらは私が入社した1997年以前からすでに徹底されていました。

本社の駐車場。人や自然といった周囲に迷惑をかけない心掛けからはじまった前向き駐車。 細やかなことかもしれないが、こうした心掛けの積み重ねが人間を作るのかもしれない。

 

-昨今SDGsやESGが言われるようになり、環境問題に力を入れることが企業の責任という認識が醸成されていますが、伊那食品工業では90年代から人だけでなく自然にまで配慮していたのですね。

 

今は「年論経営」と言っていますが、以前は「自然体経営」と呼んでいたんです。人間も自然の一部ですから、自然から多くのことを学び、人としてあるべき姿を考えて実践していこうと。CSR活動を単に企業のイメージアップの手段として利用するのではなく、私たちは企業活動の目的そのものだと捉えています。

 何より、環境問題に力を入れることは珍しいことでもなんでもありません。江戸時代から連綿と紡いできた日本人の精神性には、自然に感謝するという考えが深く根付いています。商売だからといって、その感謝の気持ちを取り外していいはずがない。経済偏重時代の「ビジネスのためなら何をやってもいい」というモラル欠如の感覚の方が、人として異常なんです。

 

「社員は家族」だからこそ幸せに働ける

-今、ワークライフバランスや働き方改革などで、人と組織との関係が劇的に変わりつつあります。社員との向き合い方に多くの企業が苦慮している。御社ではどのようにしているのでしょうか。

 

私たちは、ワークライフバランスという言葉は使いません。というのも、会社にいる時間とプライベートの時間を切り分ける意識があまりないんですよ。仕事もプライベートも、どちらも人の人生の一部であり、大切な時間ですから。人間は一生のうち半分以上が働いている時間です。ならば、仕事もプライベートも両方楽しいことが、一番幸せな人生ですよね。

会社はもう1つの居場所であり、もう1つの自分の家。つまり会社も家族のような存在であれたら、多くの社員が幸せを感じてもらえる場所になるのではないかと思います。社員はよく「伊那食ファミリー」と言っていますが、苦楽を共にして常に助け合える仲間と一緒に会社を良くしていこう、という気持ちで日々の業務にあたっています。

 

-仰るように「社員は家族」という考えを打ち出す企業は多い。しかし正味、社員側はその押し付けにどこか冷めてしまっているよう見受けられます。

 

それは言行一致していないからでしょう。社員は家族と言う以上は、徹頭徹尾家族と同じ振る舞いをしなければ、社員が信じてくれるわけがありません。経営者の行動が伴わなければ、単に“絵に描いた餅”に過ぎません。いくら家族だと言っても、きちんと給料を上げる、社員を守ることをしなければ、社員は「言っていることとやっていることが違う」と見抜くでしょう。

当社は「会社の利益は社員の幸せを実現するためにある」という理念を経営者が自らの行動で示し、信念を持ってぶれずに実践してきました。だからこそ、今の伊那食品があるのだと思います。

業績が悪くなったからと言って、簡単に社員のクビを切るといったことがあれば、社員は言葉だけと見透かすでしょう。家計が苦しくなったからと言って家族の縁を切る人はいませんよね。利益にしてもきちんと還元するか会社の未来に投資しないと誰も信じてくれませんよ。社員は経営者の発言が一貫しているかをじっと見ていますよ。

 

-しかし日本の大多数であるファミリー企業では利益の多くは株主である創業家や経営層に還元されますよね。

 

そうです。だからこそ、言行一致させなければならないんです。私たちの筆頭株主は社員の持ち株会です。繰り返し言いますが、言行一致していなければ誰も心から信じてくれるようにはなりませんよ。

 

-そこまで徹するのですね。これは多くの企業では安易にマネできそうにありません。安定的に事業承継するには、株主が創業家にまとまっている方がリスクはないわけですから。

 

でも、それは社員を家族として心から信じていないからですよね。本当の家族であれば、リスクと捉える発想自体が言行不一致の証となります。

 

-理屈はわかるのですが、多くの企業で実践することは難しい。

 

その通りです。だから年輪経営なのです。一朝一夕で木が大樹となることはありません。毎年毎年、過度に成長をおう欲目もかかず、しかしいい会社になるという未来をしっかり見据えながら年輪を重ねるように、いい会社を作っていくしかないのです。

 

-唸るしかありません。しかし、地球規模で経済情勢が大きく変動し、社会が複雑に多様化していく今日をもってしても、その思想は通用するのでしょうか。マーケットが刻々と変わる中、大きくアクセルを踏まなければいけない瞬間、チャレンジしなければならない瞬間というのもありますが。

経営とはそこを見定めることですよ。未来予測ができないという点でどんな時代も激動でなかった時代などない。景気やトレンドは日々変わっていくものです。この前提に立って、自分たちの目指す姿に対して、何をすべきかを冷静に考えることです。企業の業種や規模の大小、マーケットの変化、地球環境、ステークホルダーの幸せ、人に迷惑をかけないといった視点まで含めて総合的に判断して「最適成長率」を見極めることが経営です。

まず、会社の究極的な目標をどこに置くかという視点に立ち返ると自ずと答えは見えてきます。当社の場合会社は社員の幸福のためにあるのであって、社員の幸せを願うと、どういったことをしなければならないのか。会社も人生、家庭も人生。どちらも楽しくやれるのが一番ですので、どうしたら楽しく仕事ができて、結果として幸せになれるかということを単純に考えた結果です。もちろん、甘いことばかりではなく、ときには厳しい姿勢も必要ですけどね(笑)。

 

-徹頭徹尾ぶれない姿勢は、どこから生まれたのでしょう?

 

私たちは特別なことをしているわけではなく、いわゆる日本古来の企業の在り方を真似ただけです。近江商人の「三方よし」の考え方は有名ですが、その「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」の三方に、当社最高顧問の塚越寛は「将来もよし」を加えた「四方よし」という考え方を提唱しています。また、渋沢栄一や出光佐三などの著書から多くを学び、今も参考にしています。いわゆる昔ながらの日本型経営を受け継いだということですね。

 

-いつしか昔ながらの日本型経営がめずらしくなり、近年は伊那食品工業に経営を学ぼうと様々な経営者が訪れていますね。今の日本を見て感じる課題があれば聞かせてください。

 

いつの間にか日本全体の雰囲気が、利益や会社規模の拡大だけを求めるようになっている気がします。日本経済はデフレだと言われますが、その最たる原因は安売り競争なんですよ。なぜ安売り競争をするかというと、人より自分のところにお金を持ってくるためです。それがまかり通っているのが今の世の中ではないでしょうか。自分のことしか考えないから、社会が良くなるわけがないんですよ。

経済も日常生活と同じく「人に親切にする、正しいことをする、嘘をつかない」という常識を持って活動することが必要だと感じています。今の日本はそろそろ、社会に利益をもたらさない経済至上主義を見直すべきときではないでしょうか。

 

-加えて、人手不足の問題もますます深刻です。

 

景気や業績によって、企業の都合で勝手に人員を増やしたり減らしたりしているわけですから、人手不足になるのは当たり前。今さら人が足りないと文句を言ったって、自分たちがやってきた身勝手な人員整理の結果が跳ね返ってきているだけなんです。採用にしても、就職希望者は毎年必ず一定数いるので、本来は毎年同じように採用していくことが企業としての責任でしょう。そういう意味では、当社は人が来ないということはありません。おかげさまでここ30年ほど、毎年約30名前後の採用を続けることができています。

 

伊那食品工業のステークホルダーとの向き合い方

 -御社にとって取引先はどういう存在か聞かせてください。

販売先であり、仕入先であり、ビジネスパートナーですので、基本的には全員対等な立場だということが基本にあります。自社の売上や利益のために無理な要求をしたり、価格だけを理由に仕入先を変更したりすることは、当社では厳に自重しています。

 

-改めて、社員と向き合うにあたってどういったことを取り組んでいるのですか?

ステークホルダー 社員

例えば、毎年恒例の社員旅行があります。各部署から数人ずつ、合計30〜40人の班に分かれて海外と国内を隔年で旅行するのですが、国内旅行の年は、旅費を会社が全額負担します。海外でも2/3程度が会社負担です。行き先や旅行プランは自分たちで決め、旅行中に1回だけ全員で集まって食事をするという決まりがある以外は、全て自由行動です。上質な空間を知ることで、マナーを身につけ、モラルを高めてもらいたいとの想いを込めています。

一般の会社だと、積極的に社員旅行に参加する社員はあまり多くありませんよね。でも、当社では「行きたくない」という声は聞きません。社員旅行はみんな楽しみにしています。

もう1つ特徴的なことを挙げると、当社は基本的に数値目標というものがないんですよ。会社が決めて「こうしなさい」と押し付ける目標設定がない。予算なども細かくは設定していません。

 

-数値目標がないのであれば、どういった目標を設けているのですか

 

自分で考えるんです。「いい会社をつくりましょう」という社是と、その年の行動指針に基づいて、「自分たちは今年、こういうことをやろう」「こういう目標設定をしよう」と自ら考えて決める。営業職の社員も例外はなく、自分たちで考えて目標数値を設定し、取り組んでいます。

人間は、やれと言われてやることと、自分がやろうと決めてやることでは、同じことをさせても幸福度が変わりますよね。だから社員旅行も数値目標も、自分たちで考える。社員に自発的な行動をとってもらう環境を用意することが、社員の人生を豊かなものにする絶対条件だと思います。この文脈上で当社は職場環境の整備には投資を惜しみません。

数字は大雑把でいいと思うんです。家計と一緒で、家計簿をつけていたとしても、そんなに細かく管理しないですよね。旅行に行きたいときは行き、欲しい物があれば買う。でもなんとなく家の経済状態を考えながら行いますよね。会社も同じです。まず予算ありきで考えるのではなく、社員にとって必要だと判断したものには、しっかり投資します。

 

-御社は新卒採用を原則としているそうですが、新入社員にどのような教育をされていますか?

 

会社や仕事のことを教えるというよりは、「人に迷惑をかけてはならない」といった基本的な教育をします。人としてあるべき姿を徹底できれば、人の役に立ち、社会の役に立つ人材になるでしょう。これも結局「ファミリー」に繋がるのですが、家庭で子供を育てるときも、普段の生活の中で教育しますよね。それと同じことを会社で行っているだけなのです。

本当に家族のような関係性なので、みんながまとまりやすく、何かを始めようとすると一枚岩になってすぐに実行に移せます。当社は成果主義ではなく、人事評価は有って無きに等しいといっても言い過ぎではありません。年功序列の原則があり、能力だけで上下関係が決まらないのも家族的といえるでしょう。

 

-とはいえ役職は限られているので、昇進などで関係がギクシャクすることはないのでしょうか?

 

それは人間ですから完全にゼロとは言い切れません。当社では「役職」というより、部長や課長などはあくまでも“まとめる人”という「役割」なので、役職があるから偉いとか、上下関係が上だという感覚はないんですよ。役職を気にしていないので、決裁にも順番は関係ありません。当然、私に直接書類を持ってくる場合もありますよ。部下から上長へという順番を飛ばしても、全く問題ありません。

同席された広報の石田さん。「社員同士は本当に仲がいいんですよ。和気あいあいとしていて、会社で働くことが楽しいんです」。

 

-地域社会に対しては、どのような貢献をしたいと考えていますか?

「これをやらなければならない」ということは決めていません。私たちが、そして伊那食品の家族がこの地域で暮らすためには、地域に対してどういった貢献ができるのか、自然体で考えて行動に移しています。周囲に迷惑をかけないためにはどうするか、人として正しくあるには何をすればいいか、という発想ですね。地域に貢献したい、地域を発展させたいと思うのは当然のことなので、会社の経済活動としてではなく、日常生活の延長として取り組んでいます。

 

-具体的には、これまでどういった取り組みをされてきたのでしょうか?

 

本社前に通る広域農道には、社員と地域の皆様の安全に配慮して、自社で歩道橋を設置しました。地元で開催される春の高校伊那駅伝や音楽コンクールを特別協賛したり、多目的ホール「かんてんぱぱホール」で地元に縁のある方の作品展やコンサートを開催したりするなど、スポーツ・文化振興にも力を入れています。

また、伊那市にほど近い中川村の造り酒屋が経営難に陥った際には子会社化して、再興の支援を行っています。100年以上の歴史を持つ酒蔵は、地元の文化でもあります。酒蔵を次代へ継承していくことは、伝統や酒米を育てる棚田の景観維持にもつながると考えています。

伊那食品工業が設置した歩道橋

 

-株主についてはどのようにお考えですか?

当社の筆頭株主は、我々の同族ではなく社員持株会です。つまり社員が株主です。社員持株会に移行したのは、今から10年ほど前ですね。

 

-それは大胆な決断ですね。どれくらいの割合の株式をお渡ししたのですか?

 

約6割です。会社の規模が大きくなり事業承継時の相続税に対する措置でもありましたが、創業家が会社を運営していくことが目的ではなく、社員が幸せになることが会社の目的ですから、私たちが筆頭株主でなければならない理由はありませんでした。

 

-商品開発やお客様に対する思いを聞かせてください。

商品を開発する基準は、その商品が世の中にとって必要なものかどうかです。売れるか売れないかは後から考えることで、まず「これがあったら世の中が良くなるだろう」というものを作ります。当然のことながら、高品質で安全安心な食品をお客様にご提供することを第一に考え、日々最善を尽くしています。

 

-未来のステークホルダーの方々にメッセージをお願いします。

未来の社員となる方々と共に、私たちも今後さらに成長し続け、社員の幸せや地域のために最大級の価値を提供していきたいと考えています。そして10年後、20年後に入社する若い世代の方々に当社の理念をきちんと伝えられるよう、社員一丸となって努力し、それを実現する伊那食品工業という会社を後世に残していきたいですね。

 

 

「自分たちがやっていることは特別なことではない」塚越さんが取材の中で何度も口にした言葉である。日本人が昔からもっていた道徳や価値観をただ実践しているだけ。昔は自分たちみたいな考えを実践していた企業は多かっただろうと。それが時代を経ることで珍しいものになってしまったのだ、と。

しかし時代は巡る。今日は組織の在り方はティールだなんだと言われ、株主第一主義からステークホルダーを大切にする「ステークホルダー資本主義」の時代へ移る端境期と言われている。ミルトン・フリードマンが夢見た資本主義の世界観が、結局大多数を幸せにすることはできなかったという世界の諦念を生み、いま社会が一筋の光芒を見出そうとしている先が、駆逐したはずの日本古来の価値観に帰結しようとしていることに、先人たちは何を想うのだろうか。

ここに企業の一つの理想像があることは間違いない。既存の価値観に毒された日本企業には恐れ多く、また何年の月日を要さなければならないかを想うと、とてもマネできない大樹だ。働き方の多様性や副業が叫ばれ雇用の流動性を上げたい社会を想うと、年功序列・家族的価値観など、次なる時代が導きだしたい答えとは少々趣の異なる大樹だが、葉は生い茂り実りは豊か。事実、樹のもとに集まる者は幸せそうだ。

さて、未来でもこの年輪を重ねた大樹は孤高の存在なのだろうか。それとも、似たような樹木が群生し森となっているのだろうか。誰もが幸せを自認できる社会を想うと後者となっていることを願ってやまない。

 

〈プロフィール〉

塚越 英弘(つかこし ひでひろ)

伊那食品工業株式会社 代表取締役社長。日本大学農獣医学部卒業後、CKD株式会社に入社。その後1997年に伊那食品工業に入社し、購買部長や専務を歴任、2016年から代表取締役副社長。2019年2月に代表取締役社長に就任、以降現職。

伊那食品工業株式会社

https://www.kantenpp.co.jp/corpinfo/

長野県伊那市西春近5074

社員数:546名
年商:197億700万円(2019年12月期実績)

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WRITER
株式会社Sacco 代表取締役
加藤 俊
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運営企業として累計10,000社超の、取材実積・メディア制作を経て、サステナブルな企業がステークホルダーを重視した経営を行っていることに気付く。100年以上続く長寿企業複数社の社内報・ステークホルダー取材を通じ、ポスト株主資本主義時代の経営ビジョンに開眼する。環境教育系社団法人の広報業務支援も行う。またライフワークで若者の自立を応援するヒーロー『くつべらマン』の2代目として活動。