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生きがいの見つけ方「日本の若者よ、ネガティブな部分は消しゴムで消しなさい!」【コシノミチコ】

コシノミチコ×山中哲男 世界的トップデザイナーと気鋭の新規事業クリエイター対談 

なんだか世の中がギスギスしている。マジメに言えば、社会情勢や金融資本主義の行き過ぎにより、あらゆる側面で社会のサステナビリティ(持続可能性)に軋みが生じるようになった。企業活動の在り方や人の心の在り様にまで、その荒廃は及んでいる。いったい、自分の人生に「生きがい」をもてる人がどれだけいるのか。

 

かつて、陸田真志という死刑囚は、哲学者池田晶子との対話のなかで、「人間とは、その自己の目的に気づく潜在能力を持っている。そのことこそが万人に平等にある『人が人として生きる権利」である」と喝破した。人とは何なのか、誰もが「生きがい」を感じる社会を実現するにはどうすればよいのか、この本質的な問いを探求する対談企画。

 

一人ひとりの人間が人生の目的、テーマに気づくこと。自分はこれをやるために生まれてきたと天命を見出せること。いや、見つからなくても、無邪気に、天に向かってコブシを突き上げて「最高!」って叫べる人が増える社会を目指して。

 

 

「MICHIKO・LONDON」を展開している、ファッション業界の大御所デザイナーコシノミチコさん。70年代当時のデザイナーたちの多くはパリを目指したが、ただ一人徒手空拳でロンドンに乗り込んだわけとは? 大御所たちが一線を退くなか、今でも自らMICHIKO LONDONのデザインを手掛けパワフルに活動するそのバイタリティとは? 今回、ミチコさん来日の機会をとらえ、生き生きとエネルギッシュに走り続ける彼女に、若者にとっての生きがいの見つけ方を聞いた。

 

 

自分らしさをもっと表現してみよう

山中哲男(以下、山中):ボクは日本をもっと元気にしたいという思いで様々なプロジェクトに携わってきたのですが、多くのヒトが生きがいを感じる対象を見つけることができていないことこそが日本が今一つ元気になれない病巣だと感じています。「生きがい」と一口に言っても解釈の仕方が様々になるのは承知のうえで、あえてこのテーマで今日は対談させてください。

 

コシノ:OK! でも生きがいって何なの?

 

山中:「(自分が)やりたいこと」と「やれること」と「(他人から)求められていること」の交わった感覚、自分の人生が充実しているなって感じ取れる人生の状態だとボクは思っています。今の人たちはなかなか見つからずに、なんとなく毎日を過ごしてしまっているのではないかと思います。世界を股にかけて活躍するミチコさんの話を通して何かヒントを得てもらいたいです。

 

コシノ:任せなさい(笑)。実は私は東京モード学園で講師もしていて、日本の若者に向き合うこともあるわけ。そうすると、まあ最初は元気がない。それがね、「あなたたち、こんな小さい国に住んで、小さい家に住んで、小さい夢もってそれでいいの?」と言うのよ。そうすると、はっと姿勢を正して、われに返ったような顔をする。結局、いろいろな慣習や、既成概念にとらわれて気づいていないだけだと思う。

 

 

さらに言うとね、若者だけの話でもなくてね。60代の男性ってスーツとゴルフウェアしか持っていないという人が多いでしょ?仕事かゴルフかみたいな。そんな世代をファッションショーのステージで元気にしよう、という企画をショーの一部でやったことがあって。実際にモデルとしてランウェイを歩いてもらったのだけど、今まで着たことのない服を着て、メイクもして喝采を浴びるという体験をしてもらったの。

 

山中:おお!それは斬新な取り組みですね。

 

コシノ:おじさんだって誰だってカッコいいって言われたら嬉しいでしょ。喜んでいるおじさんたちを見て私も嬉しくなったわ。このときに象徴的なエピソードがあって、彼らはもう始まる前からそわそわしていて、モデルなんだから本当は控え室の外に出てはいけないんだけど、大人しくしていられないのよ。興奮して観客の中に勝手に混ざりに行っちゃってさ(笑) そのぐらい喜んでくれていたわけ。そうしたらね、何と後日ランウェイに立った一人のモデルのおじさんの奥様から電話がかかってきて、「昨日主人に何があったのですか?」という。実は、その日を境に突然うつ病が治ってびっくりしていて、何があったのか不思議に思っていたんだって。今まで着たことのない服を着て喝采を浴びる。この経験が1人の人の精神の在り方を変えた。

 

自己表現をして他人から評価される。こういった経験が人にとってどれだけ大事かってことの象徴的なエピソードです。

 

山中:自分を解放させるファッションの力って物凄いですね。日本人は周囲の目を気にして「馴染む」ことをよしとしますけど、もう少し「自分らしさ」をさらけ出す、自己主張をしても良いと思いますね。ミチコさんの今日の服も、かっこいいです。

 

コシノ:ありがとう。そりゃ私はね、もうロンドンに行った時から、いろいろな国からやってきた人達に会うわけ。向こうでは、肌の色もそれぞれ違うし、ノースリーブの人が歩いていると思うと、その隣をレザーを着込んだ人が普通にすれ違ったりする。あれ、今季節いつだっけ?という世界。でも、お互いに変だと思ったりとかは一切なし。季節感なんか個人の趣向の前では関係ないよってね。

 

山中:日本だと多くの人が気にしますよね。

 

コシノ:そう、結果として個性が埋没したようなアースカラー一色になっちゃう。年齢からしても、年代別に細かくセグメントされているのは日本だけでしょ。歳なんか関係ない、着たいものを着れば良いというのが、ヨーロッパの常識。そこで、私も負けじと真っ赤な目立つ靴はいて歩いたりする。常識的にはバランス悪いんだけど、自分がよいと思ったものは何でも違和感なく着こなすみたいな。そうしないと、逆に自分らしさが主張できない。

 

日本はとかく「セーフ」な服を着ようとする。なので、グレーかベージュだとかそういった服が多くなる。それで環境に溶け込んで自分を消している。安全かもしれないけど、退屈でつまんないじゃない。これを続けていると、安心などころか、かえって自分への抑圧と思考停止を生み出すと思うのね。こういった全体の状況が日本の若者にも悪影響を及ぼしているんだと思うわ。

 

山中:まずは、自分らしさをもっと出しても、自分が気にしているほど周囲はあまり気にしないんだと気づくことが最初に重要なことだと。

 

コシノ:まぁ、そのための自己表現の方法を提案し、自信をもってもらうようにするのが私たちデザイナーのミッションでもあるのだけれど。

 

 

自分ができることに自信を持ち続けるようにする

山中:ミチコさんは、コシノ3姉妹のなかでも、マイウェイを貫いている人というイメージがあります。独創的な服が多く、今もミチコロンドンのデザイナーであります。ミチコさん自身もまた常にエネルギッシュなイメージがあって。

 

コシノ:そうね、私のなかで物事との向き合い方で大切なのは、何事も「継続」することだと思っているの。「継続」の反対は「挫折」。裏を返せば「続けられることは、自分にできること」。自分にできることは感性を磨くことしかできない。感性というものを磨いていくことで自信が持ち続けられるから、継続できる。私にとってその自信を持てる方法の一つがファッションだった。そこで、感性を磨くための行動をどのように起こすか、それによってどうやって自信を持ち続けることができるようにするかが私にとってはすごく重要なの。

 

山中:感性を磨くためには常に行動を起こさないといけないということですよね。その感性が磨かれていく瞬間ってどういったときですか?「あっ、今磨かれている」ってメタ認知できるものなのですか?

 

コシノ:そこはね、「このデザインはどうやって思いついたのか」と聞かれた時、これ、と言い切ることが難しいのと一緒。自分から求めてインスピレーションを得るというよりは、偶然の出会いを繰り返して自分のなかに積み重なってきたものが、ある瞬間に、ふわーっとつながっていく場合もあるの。その抽象的なイメージをしっかりと捉えようと何度も指先でなぞり返していくと、やがて輪郭としてデザインが浮かび上がってくる感覚。そうやって生まれることもしばしばあるのよ。あるいは、日常生活のなかで、何気なく受け取った手紙の色が斬新だったりしたときなんかも、それが後日のデザインに活きてくることがあるの。

 

山中:アイデアって自分から求めていく人が多いなかでミチコさんはそうではないと。

コシノ:通りすがりに見る花だって私にとってはインスピレーション。例えば桜だって、ひとひらひとひらで大きく色や形が違っていて、よーっく眺めてみると、こんな色の桜があったんだとか。こんな形の桜の木があったんだとか。感性って見た、聞いた、嗅いだ、触ったといった経験の蓄積で磨かれるんですよ。そういった経験があるとき収斂されて1つのデザインになる瞬間があるといった感じかな。

 

山中:なるほど。どの瞬間にミチコさんの生きがいがあるんですか?

 

コシノ:それは何よりもお客さんの反応。自分の渾身のデザインが人に渡って、その人が嬉しそうにしていれば次につながるモチベーションになる。クリーニングに出す日数がもったいないから、自分で洗濯して乾かして毎日着ていますとか言われたり、気が付いたらあなたのコレクションを一番もっているとか言われたりすると、これはデザイナー冥利に尽きるね(笑)。

山中:良い循環ですね。創ったものがお客さんに届いて喜んでもらって、それを見てミチコさんはまた創造の意欲が湧く。まさに、クリエイティブのポジティブフィードバックシステムですね。

 

コシノ:なによりね、お金分の価値がある、「元を取った」と言ってもらえるのが本当に嬉しくて。モノづくりはどうしてもお金が関わるけれど、自分の提供したモノの価値が相手の想定を上回る。そういってもらえるとき程、デザイナーとして嬉しいことはないです。

 

 

もう少しいうとね、ロンドンだとロンドンなりに、まず英国人であって、このメディアに取り上げてもらってとか、デザイナーが勝ち上がっていくお決まりの順路のようなものがあるわけ。

 

私は、挑戦するとき、そうでないやり方をしたいと思った。権威とか賞はどうでもよくて、如何にストリートで人が着てくれるかどうか。窓の外をふと見たとき、バス停で待っている人達がどれだけ着てくれているか。そこが自分の作品の評価基準だし、自信につながっていく根拠。だから、そこが原点としてずっとあって、今も私の服を着てくれている人に会うとすごく嬉しいのです。

 

なので、そういった自信を持たせてくれる循環を自分で作ることはすごく大切だよね。

 

 

やりたいことを求めて、考えるより先にまず行動

 

山中:そもそも、なぜロンドンだったのですか?ファッションの中心地というと、パリやミラノのイメージがありますが。

 

コシノ: 誰も知らない土地で挑戦したかったの。姉2人が活躍している日本にはもう居場所はないと思った。日本にいると姉たちのハードワークに巻き込まれて私の人生がそのまま終わってしまいそうだったから。それじゃあまりにも悲しいじゃない(笑)どうしても外に出たくてね。なによりコシノという名前ではなくて、自分自身の力を試してみたかったんです。

 

山中:それで誰も知らない土地に行こうと?

 

コシノ:確かにファッションというとやっぱり、パリやミラノなんだけど、そこは姉たちの影響もあったからパスした。何よりあの頃はデザイナーになりたいとは思っていなかったんです。とりあえず外に出たいという思いが強くて。それで選んだのがロンドンだった。音楽が好きだったのもあったのかな。ところが、いざ来てみると、なかなか仕事は見つからず持っていたお金はどんどんなくなっていく。ついには明日、牛乳とパン買うと終わり、どうしようみたいな。

 

山中:徒手空拳で飛び込んだわけですものね。そこからどうやって服と向き合うことになるのですか?

 

コシノ:私が生まれ育った環境は、母の仕事が仕事だったから、家に帰れば毎日生地に囲まれる生活で、常にミシンの音が聞こえていたんです。日本にいた頃は正直それを疎ましく思っていたの。ところが、ロンドンで過ごすうちにロンドンの友達たちは私が過ごした生活に憧れてファッション業界を目指してやって来るんだと。

 

山中:海外に出て離れてみて、初めてありがたみを感じ取れるようになった?

 

コシノ:そう。自分の生い立ちだって私に与えられたギフトだと思えるようになった。そうしたら凄くやる気が出てきました。お金がなくたって屋根がある場所にいるんだから死にはしないよと開きなおって、何か仕事をくれって売り込みにでかけた。

 

そうすると、パターン画の仕事をいただけた。そのうち、その仕事をこなしていくうちに、今度は前から狙っていた会社に採用してもらおうとプレゼンにいったんです。でも、それまでデザイナーとしての自分の売り込みなんてやったことないから、手ぶらでいったら、作品はないのと聞かれて。そりゃそうだわね。で、また次の日にプレゼンさせてもらうことにした。それでファッションショーのビデオを持って行ってプレゼン。評価は上々だったのだけれど、逆にあまりにも素晴らしいがそれって本当にあなたの作品なの?と言われた。いえ、姉のものですと。

 

そう言うとみんな、唖然としていたわ。そこで、「私は、妹なのでこんなものが私にも作れるということです」と平然と言ったのよ。逆に面白い子、と思われて採用された。何が言いたいかっていうと、実際にできるかどうかは別にして、できると言ってしまうことが本当に大事だってこと。

 

山中:チャレンジしながら、できるようになればいい。

 

コシノ:その通りよ。確固たる根拠なんか作ろうとしている間に年をとっちゃうわ。さらに、そこのアトリエでは、私としては見飽きていたシルクなどの高級素材ではなく、向こうにとってはどうでもいいような安くて、いらない端切れがたくさんあって、それを毎日もらって帰って、服を創ったりしていたの。

 

そうしたら、あるときそこの所属のモデルが来て私の創った服をすごく気に入ってくれて、これでファッションショーをやってくれないかという話になった。結果としてそのシリーズがバカ売れした。

 

山中:それがMICHIKO LONDON立ち上げのきっかけなんですね。出会いのチャンスを逃さないですよね。頭でどうこう考える前にまずは与えられたチャンスを活かすことだけを考えている。凄い!

 

コシノ:行動したら行けるで!!(笑) 頭の中で考えたことは経験にはならない。そこから人が繋がることもないし、体当たりのほうが、面白い人生が歩めると思うよ。

 

 

異界体験にこそチャレンジしよう

山中:考える前に行動というもの以外で、ミチコさんが意識している他のポイントはありますか?

 

コシノ:そこはね、あえて自分の嫌いなものや、いつもの自分とは対極にあるものに触れてみることかな。例えば私は子供の頃、お金持ちの友達の家に遊びに行くと、必ずリビングにどーんと、ピアノがあった。なぜか、すごく憧れがあってお金を貯めて買ったことがあって。でも、当たり前だけど、ピアノは弾かなければ音を出さない。弾いたことなんて一度もないから単なる置物(笑)。

 

でも、ミュージシャンの友人も多いから、遊びに来るとピアノがあるんだと弾いていく。あるとき一緒に弾こうといわれて、私は譜面を見てもわからないから弾けないよって断ったの。そうしたらミュージシャンの友達が、なんだピアノなんて簡単、3種類のコードがわかっていると弾けるよというので、いろいろ教えてもらって、そうしたら本当になんとなく弾けるようになった。そうこうするうち、私が通っている教会でウェディングがあり、あなた弾いてくださいって言われちゃって、ついつい引き受けてしまったの。

 

山中:ええ? 結婚式って失敗できないやつじゃないですか(笑)

 

コシノ:だから、人前で演奏なんてとプレッシャーを感じて指が凍り付くところから、練習して練習して。冷や汗が出ましたが、結果すごくうまく弾けた経験がある。その時自分でも、できるんや!と思いました。新しいこと、今まで敬遠してきたことに触れるってこんなに楽しいんだってね。

 

山中:ミチコさんは何でも体験するとりあえず触れてみる、という姿勢を大事にしているんですね。でもネットが発達している今、自分で触れてみる前に検索してそれで終わっちゃう人が多いですよね。

 

コシノ:それって本当にもったいないことだと思っていて。自分の頭で考えてチャレンジするのが人間なのに、それを頭の中の世界だけで完結させてしまうのは恐ろしいこと。私の「ピアノができた」はちっぽけかもしれないけど、きっと生きがいって、そうした一つひとつの色んな方向にある「できた」の積み重ねの先にあることなんだよね。

 

頭のなかで知った気になってそれで終わらせてしまう先に、心が震えるような喜びはなさそうで、情報だけで終わらせてしまうのは本当にもったいない。「経験する」ということについては、あまり興味が湧かなくてもとりあえずチャレンジした方がいいわよ。意外とやってみた先で、これ超楽しー!というのが多いのが人生だから。

 

山中:ユニオンジャックが描かれた箱のコンドームのデザインもそういう未経験へのチャレンジからコンドームメーカーと組んでのプロジェクトだったのですか?

コシノ:コンドームの場合、「着る」ものでしょ。着るもののデザインなら私にとっては未知なるチャレンジではないわよ(笑)

 

山中:確かに!(笑)

 

コシノ:あれは警鐘をならしたい、避妊に対するネガティブなイメージを変えたかったというのが大きいわ。というのも、ロンドンのクラブシーンの友達は性に開放的な人が多かったの。亡くなった親友もいてね。日本では、性に関することはタブーだったけど、このまま行くと日本でも亡くなる人がたくさんでてきてしまうと思って。

 

山中:確かに、気軽にコンドームの話ができるような感じではなかったですね。

 

コシノ:タブーでしょ。薬局で隠れて買うのではなくて、女の子でもコンビニや駅で気軽に買えるようにしたかったんです。これは恥ずかしくないことなんだって文化をきちんと根付かせたかったの。そんなあるとき、デザインしたインフレータブル・ジャケットという空気を入れる服をニューヨークにエクスポジションをしに行ったときがあって、偶然向こうでエイズキャンペーンをしていたのに出くわしたんです。

 

そうした想いをキャンペーンの場で語っていたら、男性がデザインするより、ミチコがプロデュースしたらどう?という話になって。それでデザインや商品は不二ラテックスさん、パッケージとかイメージを私がプロデュースするようになったんです。

 

山中:それでセックスの隠語「ミチコロンドンする?」が生まれたわけですね!

コシノ:そうよ!いいことしているでしょ?(笑)

 

 

得意なものを続けると、誰もが生かされる機会がある

山中:ミチコさんはショーのモデルも、エージェンシーを通さず自分で選んでいるのだそうですね。

 

コシノ:今活躍している1人は、もともとは私のブランドが好きで、毎日のように原宿の店の前でたむろしていた少年。10歳の時に親に捨てられ養護施設で育てられたらしい。外から見える箇所に刺青をしていて、日本の社会的にはもう、いわば「抹殺された存在」だったと思うんです。でもその子に光るものを感じて30周年の記念ステージで彼をモデルとして起用した。

 

そこでもまた拍手喝采。そのあと、彼がやってきて「ボクは生まれて初めて感動というものを知りました」と言ったのです。これが転機となって今や、海外で活躍する立派なモデルになりました。

 

山中:つまり彼のファッション好きが活かされたということですね。

 

コシノ:そう、誰でも引きずっているネガティブな部分は消しゴムで消しちゃえばいい!不得意は磨いてもダメ。「得意」を見出してそこを磨かないと。

 

山中:それを考えると、ミチコさんは凄いですね。ファッションをやる前は、大学時代にはソフトテニスで全国大会に優勝するプレーヤーだったし。

 

コシノ:ええ。あのときもそう。得意なことを伸ばしたの。長身はアドバンテージにもなったけれど、もちろん長身特有の弱点もあった。それでもコーチの先生は、長身を活かすことだけを考えればいいと教えてくれた。如何に、相手のボールが自分の得意な高さにくるか、そこにポジションを取れと。人生でも、それは一緒だと思う。

 

山中:その「得意」を見つけることができない若者も多くいると思うんです。

 

コシノ:日本人の場合、自分が得意だと思っても周りにすごい人がいれば、それを隠しちゃう人が多いのよね。私もファッションの世界でとてつもない才能の持ち主を何人も見てきたけれど、その人が特別な訳じゃないっていつも自分に言い聞かせている。人間が本来持っている力はみんな同じで、いかに「得意」を磨けたかにかかっているから。

 

山中:テニスもファッションも「得意」をひたすら追求されたんですもんね。ミチコさんは、やるべきことと、やりたいことと、求められていることが完全に一致していて、本当に「生きがい」を体現しているように見える。

 

コシノ:どういう風に見られるか気にしていてもダメ。裏表のない生き方をしないとね。

 

山中:ネガティブを消し、得意分野を徹底的に伸ばすことが生きがいの発見につながる。突破口が見えてきました!ありがとうございます。

 

 

コシノミチコ

1943年大阪府生まれ。2人の姉と共に「コシノ三姉妹」として知られるファッションデザイナー。大学時代はソフトテニスに打ち込み、全国大会での優勝経験を持つ。その後姉2人の影響もあってデザイナーを志し、1973年にイギリスへ渡り、以降活動拠点をロンドンに移し現在に至る。ロンドンでは自らの名前を付したブランド「ミチコ・ロンドン」を立ち上げ、来日時は日本の若手モデルのファッションショーでコラボレーションを展開するなど、アジアにおいても大きな成功を収めている。現在は服飾品だけでなく化粧品のプロデュースも行うなど、活動は多岐にわたる。また、寿司バーのプロデュースや国内外におけるエイズ撲滅運動など、ファッション以外の活動も精力的に行う。1992年には不二ラテックスとの共同で世界初のファッションブランドコンドームをデザインしたことでも知られる。

 

山中哲男(やまなか・てつお)

1982年兵庫県生まれ。高校卒業後大手電機メーカーに就職する。約1年間働くが、やりがいをもつことができず転職を試みるものの、失敗の連続。自分で仕事をつくることを決意し、飲食店を開業。“ゆったりくつろげる空間”をコンセプトにした居酒屋を展開し繁盛店にする。その後、米国ハワイ州でコンサルティング会社を設立しCEOに就任。日本企業の海外進出支援、M&A仲介、事業開発支援を行う。丸亀製麺ハワイ店など人気店を多数支援。翌年、株式会社インプレスを設立し、代表取締役社長に就任。ビジョンや想いに共感するものに携わり、現在まで50以上のプロジェクトを立ち上げる。既存事業の事業戦略策定や実行アドバイス、新規事業開発支援を中心に活動中。著書に『立上力』、『あったらいいなを実現するビジネスのつくり方』がある。2015ワールド・アライアンス・フォーラム事務局長 /U3A国際会議2016実行委員

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