/300年後の人類になにをプレゼントできるか 山口豪志インタビュー

300年後の人類になにをプレゼントできるか 山口豪志インタビュー

◆聞き手:加藤俊

山口豪志 山口さんの根底にあるのは食うに困らなければ人は争わないという考え方だ。すでに食物は世界にじゅうぶん足りており、それをどのように配分するか、情報と戦略さえあれば解決できるという。

 

クラウドファンディングサイトMakuakeで「逆境のビジネス略歴 出版プロジェクト」と銘打たれて衆目を集めるプロジェクトがある。7月31日現在、200万円を達成。目標額は50万円なので、実に400%越えだ。仕掛け人は山口豪志さん。「クックパッド」や「ランサーズ」などに携わったことを起点に投資家としても名高いベンチャー界隈の有名人だ。今回のプロジェクト、その濫觴はフェイスブックの下記投稿からはじめったそうだ。

 

~~~以下引用~~~

https://www.makuake.com/project/business-ryakureki/

さっきたまたま書き出した自分の逆境のビジネス略歴が、過酷すぎてウケたから時系列にまとめてシェア。よくよく考えたら、今までずっと過酷な労働しかしてこなかったんだなぁと(大爆笑)だからこそ分かることもあって、人に優しくなれるし、厳しくもなる。

全てが今にして思えば良い想い出(^^)

・会社としてもまだ実績がなかった月1千万円の売上つくりを2ヶ月で実現させられる、(C社)21歳

・1億円の提案を一人で2-3日徹夜してやりきった、(C社)24歳

・売上の上がらない部下2名を切らされる、(C社)25歳

・年収を前職の半分以下にされる、(L社)27歳

・未経験だった広報活動から活路を見いだし、TV露出にやってそれ以降の売り上げベースを激増させる(日商1千万円規模)、(L社)27歳

・1年間ほど週末も含め平均睡眠時間1-2時間をやりきる、(L社)28歳

・働けど働けど、個人収支は常に3年間に渡って赤字で結局600万円以上キャッシュアウトする、(L社)30歳

・辞めたらストックオプション喪失で経済的なリターンは何もない、(L社)30歳

・売り物が無い中で売上を数千万単位で求められる、(P社)33歳

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この投稿に出版が興味を持ち、あれよという間にプロジェクト化となった。もともと山口さんという人は稀有な人だ。大学時代生物学を学んできたことに基づくのか、ビジネスに込める思想も独特だ。

今回は、自叙伝に書かれるであろう山口さんの思想や世界観を概説的に伺った。天災の多い日本、幼児虐待の問題、数々のアニメや漫画、そして聖書の言葉。山口さんの頭脳という宇宙の一端を垣間見るインタビューとなった。目先の政争にばかり目が行きがちな現代社会を飛び越え、人類という種について真剣に考えている山口さんの壮大な、かつ必要なことが網羅された思想に圧倒される時間であった。

 

「「人類のため」になることをしたいと思った

 そもそも、なぜ自叙伝を書くことにしたのか

 

前提にあるのは、ここ最近自分の事よりも人間社会に興味関心が移って「人類を一歩先に進めたい」という想いが純粋に強くなったこと。いま自分の人生をかけて明確にやりたいと想えることが二つあり、それを実現させたいと強く思うようになったからです。一つは『世界平和を実現させ、人が人を殺さない社会をつくること』。もう一つが『未来の人類を一歩先に進めること』です。

 

どのような思いからその境地に至ったのか

 

生物学を学んでいたから、「種」という視点でモノを見る癖は生来あったんですよね。ヒトという種全体の繁栄や進化を意識するというか。でも、普段のビジネスのなかで、それを考えることはあまりなかった。

やはり原丈人さんとの出会いで変わったんだと言えます。よく原さんが「300年後の人類のことを考えている」と言うのですが、その考え方に深く共感するようになったんです。今この瞬間にどれだけがんばっても300年後の人類に自分自身は関与できません。ただその未来の彼らの営みに足跡を残していきたい。その一つの取組が自叙伝だったり、いまこうしてインタビューで話をすることだったりします。なにせ未来の人類に語り掛けることができるのが本であり、メディア媒体ですから。

▶原丈人さんとは?

 

実際に山口さんはどういった先人たちと語り合っているのか

 

ええ。著名な方の本に触れることはもちろんですが、最近は父が書いたものとか話していたことに影響を受けているんです。父は岡山大学で教育論の学者をしていました。その父が書いた本が残っていて。父自身はボクが21歳の時に自殺して亡くなったのですが、それから十数年の時を経てやっといまになって残されたものを見るようになりました。

 

それはどうしてだと捉えている?

 

おそらく自分に子どもが生まれて親になったからでしょうね。父は幼稚園の園長などを務め、幼児教育などに実際に携わっていました。ですから、子育てについての持論をたくさん残しているんです。

 

どのような内容なのか

 

基本的に「三つ子の魂百まで」ということです。『子どもの幸せ親しだい―幼児期に育つ人生の基礎』(山口茂嘉著、ひかりのくに、2001年)という本を著していますが、書かれている一文字一文字を通して、まるで父と対話しているような、それこそボクに当てられたメッセージのようにして受け止めています。

 

父は歯科医になるか子育ての研究をする道に進むか悩んで、子育ての研究を選んだという人です。どうして歯科医になろうかと思ったのかといえば、歯はとても大切な器官で、歯が健康なら身体のすべてをケアできるからというのが理由だったようです。

父がどこまで深く考えていたかはわかりませんが、個体としての人の保存に重要なのが「歯」、種の保存に重要なのが「子ども」の教育だとボクは捉えています。だから父が生きていて、そういう会話ができていたらおもしろかったでしょうね。父が実際に本を書いたり講演活動を積極的にしていたのは、今から20年ほど前のことですが、今の自分の疑問の答えになっていることも多くて、父が生きていたことに大きな意味があったと感じています。

だからでしょうか、命は順番にまわってくるもので、ボクもいつかは死ぬわけで。で、死んだあとの世界に何を遺せるかにしか、今は興味がありません。ベンチャーに投資したり、原丈人さんの真似事をさせていただいたりした結果、やっぱり人類を一歩先に進めるいうことに強く関わりたいという想いが強まりました。

 

人類を一歩先に進めるとは?

 

知らない世界をひもとき、子どもに伝えることの大切さ

たとえば、新種の昆虫を発見することは人類が有史上知らなかったことをつまびらかにすること。未踏の一歩を踏むことですよね。最近、田上大喜君という少年が足の裏の常在菌が多い人ほど蚊に刺されることを発見し、消毒をすれば刺されにくくなるという結論を導き出しました。これまで人類を一番殺してきた存在は蚊ですから、すごい発見です。

何かに疑問、不思議を感じて課題を設定して解決していく、それによって人類の未来はどんどんと明るくなっていくでしょう。こうした人類の明るい未来に役に立ってから死にたいから、そのためにこの先の50年ほどの人生をどう生きるか考えたいと思っています。それが今回の自叙伝、未来の夢、子どもに託したい世界につながると見えてきて、時間の使い方ができているし、すべてがそろってきました。

 

以前は口で言うだけ、想像の世界から実現できなかったものが、最近は「こうだ」と思ったら動ける仲間がわが社(プロトスター)だけでも18名くらいいます。この会社でも利益が上がってきていますし、個人として支援している投資先も成績がよくてよい循環ができつつあります。

また、二宮尊徳(金次郎)の言葉で「凡人は小欲なり、聖人は大欲なり」という言葉があって、これにとても救われているのです。何か大きなことをしようとした際「自分なんて…」と思う人は多いでしょう。しかし、この言葉の存在によって「本当に聖人であるなら大きな欲は持っていいんだ」と思うことができるし、ボクがそうでした。「人類を一歩前に進めたい」「戦争をなくしたい」と自分でも思っていいのだと。

 そのうえで、何かを成し遂げようというとき、「自分はこれをやるんだ」と何かしらの宣言をしている人のほうが目的の達成確率が高まるというのはなんとなく想像がつくことですよね。自分の志も定まりますし、まわりからの支援も受けやすい。言い換えれば、自分という人間の想いや思考を公開することで人は強くなれる、そういった側面があると思うのです。だからこそ自分の身をさらすことによって次のフェーズに進めたら、と。

これまでの一般的な自叙伝は「こんなすごいことやって来たんだ」という過去の結果的な要素が強い内容だったと思うのですが、ボクの場合は単に過去を語るよりは「未来のデザイン」という意志と希望を含めた自叙伝がつくりたいです。

 

内容はどういったものになるのか

 

連作を予定しています。とりあえず、はじめは「逆境のビジネス略歴~山口豪志編①~」として21歳から35歳までの15年の話。クラウドファンディングがプロジェクトの性質的に合致しているから、次回は「山口豪志編 0(ゼロ)」として、0歳から20歳までのエピソードを語ることも考えています。というのも、幼少期から少年時代の想い出のなかにも自分の心のなかに澱としてとどまり他人には公言しにくい記憶や人生に大きく影響を与えているエピソードが多々あるので、それについてもどこかで公開してしまおうと思っています。

でも、それはボクという人間に深く興味をもってくれている人が読んでくれればいいのだから、「ゼロ」を書くんだったら高額な値段で販売するように作ると思う。それでもISBNコードをつければ国会図書館には1冊は置かれるので、わざわざ足を運んでまでして読みたいというほど、興味を持ってくれた方だけが国会図書館で申請して読んでくれればいいかなと考えています。

 

広く読まれることを期待するのではないと。どういったエピソードを書く予定なのか

 

ボクの人生を大きく変えた出来事は、2つの身近な存在の死と原丈人さんとの出会いという3つあります。これらの出来事が僕の人生35年の中で大きなウエイトを占めています。原さんとの出会いやビジネスでの成功体験を通して自分のことより、社会をよくすることに興味がうつった。「種」として人類をとらえ、本気で戦争のない世界をつくり、300年以上先の人類のために一歩進んだ世界を構築しようという想いを持つようになったんです。

 

子供の存在が関係している?

 

ええ。子供が生まれてから強く意識するようになりました。ボクには2歳と4歳の娘がいます。彼女たちが生まれた時にはすでにスマートフォンがあり、宇宙に行ける可能性があり、今より深い6,000メートル級の深海に行ける可能性さえあります。でも、もっと先の未来へと強引に時計の針を進めたい。ボクが生きているうちに火星に行ったり太陽系の外に行ったりなど、そうした未来を手繰り寄せることに貢献したいんです。

ガンダムのスペースコロニーみたいに、人類が地球の外に出て、宇宙空間に住環境を作るとか、頭で考えている夢が現実化していくのを子どもたちに見せてあげたくて、そのためにボクたち世代がもっと未知なることへの研究をし、人類の不可能を減らしてゆき、イメージしたことを現実化しやすい世界をつくりたいと願っています。

この文脈上で将来やりたいことが冒頭お話した二つ『世界平和を実現させ、人が人を殺さない社会をつくること』と、『未来の人類を一歩先に進めること』なのです。

 

「食うに困る」世界がなくなれば戦争もなくなる

 人が人を殺さない社会とは、何を変えれば実現できるのか。人間同士の醜いいがみ合いがなくなると考えているのか

 

う~ん、非常に難しい問いですよね。でも答えは「食」にあると思う。「食べる」という行為が生存に直結したものであるから、その限られたパイを狙って、争いが起きるわけですよね。結局、生物が生きる理由は究極的には、ヒトだったりカブトムシであったりその種としての保存と、自分である個体そのものの保存に還元されるわけで。「マズローの欲求五段階説」にもありますが、食うに困っている人は、本能だけで動きますよね。腹が減って命を落とす恐れがあれば、仲間の肉も食べるでしょう。

 

でもですよ、色々な捉え方はあります。難しいのは承知で言うけど、21世紀となった今の時代、もう地球全体という視座で考えると、食料はカロリーベースで実は十分あるんじゃないかな。もちろん、均等に公平に遍く一人ひとりの手に行き渡ってはいないんだけれども。それはもう極端な偏りがあり、物流や情報格差の問題があって、飢えている人がここにいるということがわからないから死んでしまうというのが非常に大きいのではないかと思っています。

でも、これって見方を変えれば飢えている人がここにいるよと明確にわかって、そこにきちんと届けられる仕組みができればいいだけですよね。そして、社会は一歩ずつそれが実現できる世の中になっていっています。たとえば今回の西日本豪雨についても「困っている人がいる」となったら世界中、台湾やアメリカが援助してくれる、そういう助け合いの世の中が誰の目にも見えて構築されるようになっていますよね。この技術革新の進捗は本当に凄まじい速度で人類を飢餓から救っています。だから、あと少しで食料に関する問題もクリアできるんではないかと。

思っているよりも遠くない未来に、食料で困る人がいなくなる社会になるんじゃないかな。では、そうなった先で人間どうしが殺し合う必要、争う必要はまだあるのでしょうか。断じて否ですよね。

 

本当にそうか?ヒトの欲にとどまりはなさそうだが

 

確かに無法図にしていたらそうなんだけど、社会全体として、贅沢や飽食とは違った生き方が尊敬されるような仕掛けを考えることで、奪い合うといった暴力性が機能しにくくなる社会をデザインすることはできると思う。貧しい人がいればその人たちを含めて助け合おうとする社会。きちんとセーフティネットが機能する社会です。ヒトという種を意識することが一人ひとりの意識を向上させるのだと思います。

「どんぐりの背比べ」という言葉があります。どんぐりって大体2cm前後くらいでほとんど変わりません。それはボクら人間も、種という視座で見れば同じこと。互いの差は殆どない。遺伝情報までシャープに切って調べると、バナナと人間の遺伝情報は70数%一緒、人間どうしであれば99.9%くらいおなじでほぼコピーに近いのです。それでもその残りのゼロコンマ何%かで「足が速い」「背が高い」「怠惰」の差が出るわけです。こうした些末なことに捕らわれるのではなく、一人ひとりがヒトという種の発展という意識を持つこと。

 

天災の多い日本だからこその国のあり方

そしてボクはこれをリードできるのは日本人しかいないと確信しています。

 

なぜ日本人だけだと?

 

それは日本人が最もヒトという「種」をメタ認知してきた民族だからです。世界の天災の12%(※)は日本で起きていると言われています。地震、津波、台風などが起これば、島国では互いに助け合って生きていかねばなりません。これら天災と対峙する時に、ヒトは生き残ろうと手をとりあってきました。種としてのヒトという存在を強く意識してきた歴史が日本にはあるのです。

(※世界の震災被害額)

 

面白い。符合するような話がある。日本は世界で最も長寿企業が多い国として有名だが、この理由も天災の多さが絡んでいると言う方がいる。諸外国の有識者からは日本に長寿企業が多い理由は、「島国で戦争がなかったから」と言われることが多いのだが、「でもそのかわり天災が多い国だぞ」と言うと、「日本も大変な環境なんだな」と一転して同情される。

ところが、実際はそんなことなくて、この天災の多さは戦火や疫病の蔓延のように必ずしもマイナスには働かないんだと。天災があるからこそ日本に長寿企業が多いんだと。どういうことか

 

わかった。天災が多いということは、その都度お互いに手を結び、それをチャンスに変えて生き延びていく機会となる。助けあうことで絆を再確認する契機となるっていうこと?

 

―そう。その通り。地震などに被災することで、絆が深まる。もう一つ言えば、地域などのステークホルダーを意識するきっかけや社会性を意識する機会にもなる。企業の永続性は地域社会のなかでどうお役に立ち続けるかということだから、時の経過のなかで緩みがちな意識を、要所要所でショック療法的に襲ってくる天災が、緩んだ帯を締めなおすかのように効果的に働くんだと

 

なるほど。一見すると、中国や香港の超高層ビルが目まぐるしいスピードでにょきにょきと立っていくのを羨ましく思いがちなわけだけれども、必ずしも良いことづくめではないぞと。凄いスピードで発展していく風景は、これらは地震がないからこそできること。ああいう建物がつくれるのは自然と闘わなくてよいからですものね。自然と戦わないということは、お互いの結びつきを意識する機会にも恵まれないことだから、人間同士の小さな摩擦が惹起し、蹴落とし合う社会となってしまうんでしょうね。

一方日本人がおおらかで優しいと言われるのは、本当にヤバい時に助け合わなければ自分たちがサバイブできないと本能的に悟っているからなんでしょうね。「村八分」という言葉が生まれていることが何よりの証ですよね。日ごろどんなに嫌われてつまはじきしていても、残りの火事と葬儀という「二分」だけはかかわりを持つよと。その理由も非常に合理的で火事は自分の家に燃え移る危険性があるから消火を手伝う、葬儀は遺骸が転がっていると疫病が広がって村が全滅する可能性があるから片づける。これは利己的でもありつつ利他的な共同体の考え方ですが、とても重要です。

 

またこういった話もあります。ヨーロッパや中国で内戦が起きると、相手がたの一族郎党を皆殺しにします。でも日本では戦国時代でさえもそんなことはしませんでした。なぜなら日本の島の中の人口数や資源が限られているので、自分が為政者になった際にコントロールするものがなくなってきて弱体化してしまうから。

そして、これらの集団の特異性と「赦し」や「死後は仏」という考え方が複雑に絡み合うことで、我々が「日本的」と捉える風土や文化が形成されているんでしょう。

ある国では罪人の墓を暴いて死体を犬のエサにするようなところもあります。でもそういうことをしない日本人の死生観には人類は共同すべきだというマインドがあるでしょうし、天災など人類の共通敵に共同して立ち向かっていこうという気持ちが、日本人の中には色濃く流れているだと思います。ですからDNA解析などの定量的な情報と感情面の定性的な両方を補完できれば人類の平和へ貢献できるのは日本人なんじゃないかと考えているわけです。人が人を殺さない、戦争や自殺がない社会をつくるというのがボクの一つ目のおおきな目標です。

 

キッズラバープロジェクト

きれいごとと言う人はたくさんいるでしょう。ただ、「あと1年であなたは死にます。その1年間であなたのこれまで培ってきたを伝える対象が3人います。1人は70歳のおじいさん、1人は35歳の営業マン、1人は5歳の男の子。性別はもちろんすべて女性でもかまいませんが、だれかかにみっちり教えるかとしたら誰にしますか」と言われたら、誰を選びますか。

 

子どもでしょう

 

そう。僕たちの未来、人類の未来、そして、地球と世界を託せるのは若い子しかいないんです。それをすべて子どもたちに賭けたい。子どもたちとその後の世界のために「人が人を殺さない社会をつくる」骨組みをつくるのは今の子どもたちだと考えています。また、人類がもう一歩前に進む自由という可能性も子どもたちに賭けたいんです。だから、食料に困るようなことを今の子ども達のうちになくしておきたい。

「アンパンマン」の作者のやなせたかしさんは戦争体験者であり、食べるのに困ることの怖さを身をもって体験されたからこそ、ああいう作品を描けたんだと思うんです。水木しげるさんの作品には本当におどろおどろしい世界がひろがっていますが、たとえば「ゲゲゲの鬼太郎」を見ていると妖怪のほうがむしろ楽しいんじゃないかって感じがします。日本の漫画やアニメ作品を過去のものも含めてよく見ますが、戦前・戦中・戦後を知っている人がつくったものは、琴線に触れますよね。

 

それは思想が入っているかどうか、ということ?

 

思想もそうですが、世界観ですね。現代の人があのような発想ができる人がいるでしょうか。無理だと思います。たとえば中沢啓二さんの「はだしのゲン」に代表されるように彼らは戦時というとんでもない世界を生き延びて彼らが見た現実世界からの学び、すなわち「こういう世界が本当に存在する」「繰り返してはいけない」ということを僕らに伝えるために作ってくれたんだと。そしてボクらはあれを100年後、300年後、500年後にも伝えていくべきだし、自分の子どもたちや孫たちがそういう想像力を持った子どもたちに育ってほしいと思います。

 

核家族化が人類の発展を苛む

先日目黒区で、幼児虐待死の事件が起こりましたが、主犯は義理の父親でした。どうしてこんな悲劇が起こってしまったかと言えば、やはり経済的な問題が根っこの部分に絡んでいると思うんです。亡くなられた子どもの視点に立てば、2人目のお父さんに血のつながった妹弟ができたら自分の居場所はなくなってしまう。

血の繋がりがある子ども達でも複数いれば、上の子どもがすねたりすることはありますよね。血のつながりがなければ、もっとつらいと思います。家が父、母、子どもという構成はここ50年くらいにできた家族モデルです。

 

それ以前にはおじいちゃん、おばあちゃんもいたものね

 

2~3,000年前には村全体で子どもを育んでいて、誰が親なのかわからないような村全体が一つの家族だったでしょう。それが少しずつ狭まって長屋暮らしになり、母子家庭、父子家庭という概念はなかったと思います。一人親で子育てをするのはやっぱり難しいのです。だから家や家族の形が法律の制度設計の中で形成させてしまって、ヒト本来の生物の特性と合わないことだらけで行き詰まって不幸な状況が起こるのではないでしょうか。

これを改善するためにビッグライフにもよく出てくる山中哲男さんと一緒に、いま「キッズラバープロジェクト」というものを作ろうとしています。詳細を近いうちに伝えられると思う。ぜひご期待ください。

 

「始めに言葉ありき」の真の意味を知って

 すばらしい。ただ、全体として、世の中を変えるということは言うは易く行うは難し。果てしないミッションだと思うのだが

 

そう、その通りだよ。限りなく難しい。数年前に全国行脚をしましたが、それを終えた時、大きな徒労感と共に聖書にある「始めに言葉ありき」というフレーズの意味がわかりました。「馬の耳に念仏」「猫に小判」「豚に真珠」「のれんに腕押し」などやっても無駄であるという意味を持つことわざはたくさんあります。その通り、いくらよいことだとしても、求めていない人に与えてもむだなのです。

ボクはよいことをしようと思ったので50カ所くらいを回って2,000万くらいのお金を使い、1,300人を動員して150名の起業家に会いました。でも、結果として消化不良というか自分自身は幸せにはなりませんでした。

そもそも、このプロジェクトの発端は、ボクは日本を経済的に復活させるためには、移民を受け入れるか、地域を活性化するしかないと思っていました。そこで地域を活性化させようと試みました。

ですから地域の起業家や事業家がつながる場所をつくろうとしたのですが、蓋を開けてみたら、自分の支援する力がまだまだだったという他に、「自分さえよければよい」という起業家が思っていた以上に多いということにショックを受けました。地域で少人数の事業が営めて今日も楽しく暮らせれば、それでいい。年商も1億程度あればもうじゅうぶんです、新しく社員を雇う気もなく、新しいお客さんも必要ないという。もちろん素敵な人との出会いもたくさんあったのですが、色々な地域が疲弊していっているなかでも、興味の対象の範疇が自分とその周辺のみで広がっていかない人が多い現実をつきつけられてつらかったですね。

要は、『始めに言葉ありき』という聖書の言葉の意図としては、すでにコトワザや言い伝えという形で世の中の理は言葉にしたり言語化されているのです。にも関わらず、ボクのように今生きてる人間は、実際に行動を起こして実体験が伴わないと真の意味でその物事自体を腹におちて理解できないという特性があります。

言葉や表現、言語化されたものは既に世の中に既に多くあるのに、結果としては、自分の体験や経験を通じて自分のものにするしかないんです。

 

でも、この程度の壁は、過去の先人たちも皆ぶつかってきた筈です。今日、人類がこれだけ発展してきたのは、そうした先人たちの果てしない挑戦があったからに他なりません。ボクも300年後の人類が、今日以上に幸せを享受できているように、そして不幸や悲しみが少ない社会となっているように、そうした姿を掴み取るために、微力ながら全力で寄与したいと思っています。

 

どうしてそこまで人類を愛せるのか? どういった死生観なのか

 

いやいや、ボクは最終的にはこの世は“生きている人の世界”だと思います。死んだらおしまい。生きている間に生きている人のことを考えてこの社会をよりよくしていくことしか、この世の営みとしては存在しないと思います。死んだ人のためにお墓を立派にしても意味がありません。

 

お葬式もお墓も生き残った人のためのものだ

 

その場所に行って自分の心を洗うためのものですよね。生きているヒトのための世界ですから、死んだら死んだでおしまいだという割り切りがあってもいいはず。

でもね、自分で思っていた以上にボクは人類を信じているし、人類というものに愛着を感じています。自分の子どもはもちろんかわいいですが、同じくらい他人の子どももかわいい。

いまは性交渉をしなくても、科学の力を借りて子どもをつくれる世界になっています。そういう世界、そういう時代に今のボクらは生きている。そうなったら個者の遺伝子情報はもはや関係なくて全ての子どもは、ボクの子どもであり、みんなの子どもだなと。だから人類は種としてまとまって、共通のテーマである宇宙開発とか新しい科学の世界へ立ち向かっていこうと言いたいですね。

 

それを追求するのが公人の考えということか

 

「風の谷のナウシカ」に出てくる巨神兵ではないですが、生まれてきた命にはそれぞれに役割、役目があると思います。日本は天災が多い、ある意味すごい国で、ぼくらはそんなところに生まれて育っています。そこでどう生きて、300年後、1,000年後2,000後の人類に何をプレゼントできるか、それを考えると楽しいですね。 

 

山口豪志(やまぐち・ごうし)氏……1983年岡山県生まれ。茨城大学卒業後、クックパッド株式会社のIPOに営業セールストップで貢献した後、株式会社ランサーズに参画。2015年よりベンチャー投資会社デフキャピタルのアクセラレーター、また同年、株式会社54を創業。2017年からベンチャー企業の成長を全工程で支援するプロトスター株式会社に参画。投資、コンサルティング等で事業に関わった会社の数十社にのぼる。著書に『0 to 100 会社を育てる戦略地図』(ポプラ社)

プロトスター株式会社

http://www.theprotostar.co/